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「他人にどう思われているか」に興味がない

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僕の友人たちはこれを否定するかもしれないが、これは本心である。

僕は他人にどう思われていても大して気にしない。
今まではそうして生きてきた。
だから、他人と自分の知識や価値観を合わせることができず、誤解されたり嫌われるような言動を多くしてきた。

これは中学生のころから自覚していたことで、最近、友人からも言われて再確認したことでもある。

僕は「知ったかぶり」「上から目線」「”特別な自分”が好きそう」「いつも被害者面する」と思われているらしい。
まぁすべて自覚している。

言い訳にはなるが、「知ったかぶり」をするのは「そうするのが最善の選択だった場合が多かった」からだ。知らないことでも知っている体で話を進められるから、分からなくても分かっているふりをして、あとで調べたり考えたりする必要があった。
相手(父親)の速度で会話しなければ不機嫌になっていくから、それを避けるためにそうしていた。
「賢い」と言われていた子供でそういうふうに生きていた子は多いと思っている。
そうしていたことが家庭内だけでなく、学校にまで影響を及ぼしてしまっていた。

「上から目線」は単に僕の言葉遣いや表現方法の問題だと思っている。
基本的に他人より自分の方が優れていると思うことはない。
ただ僕の言動が上から目線の人間がする言動に近かったのだと思っている。
間違っていたら教えて欲しい、僕は上から目線のつもりは一切ないのだけれど。

「”特別な自分が”好きそう」
これは説明できる気がする。
僕は昔から「みんな特別なはず」という価値観がある。
でも、その「特別さ」に優劣や優先順位が付けられると、誰かの「特別さ」が蔑ろにされる。
僕はそれが嫌だったから常に「自分は特別なんだ」と思っていた。
そう思うことで他人に蔑ろにされても許せていた。
良く言えば「自分を守るための術」であり、悪く言えば「ナルシスト」だろう。
「自己主張の少ないナルシスト」という言葉は僕に合う。
恋人に対して「特別扱いして欲しい」と思う人は多いと思う。
僕はそれを自分でしているようなものだ。
だからひとりでもいい。
僕は僕が好きだし、大切にしている。
昔はそれを自覚していなかったから、相当ウザかっただろうなぁと思っている。

「いつも被害者面する」これに関しては未だに分からない。
今思い返しても僕は被害者だと思うのだが。
僕が加害者として扱われたときのことは罪の意識として刷り込まれているから忘れない。
小学6年生のときに傷付けた女子2人には今になっても謝りたいと思っているし、親の後ろから出てきた女の子のあの表情はまだ忘れられない。
そのくらい強く残っている。

長々と書いて、まとまっているのかは分からないけれど、僕は他人にどう思われていても良い。
合わない人はさようならをすれば良いだけで、合う人は付き合い続けてくれれば良い。
外面だけを見て僕を無下に扱う人とは仲良くしようと思わないから、着飾る必要もない。
僕は親友や幼馴染にさよならを言われても受け入れる覚悟がある。
僕は飾らずに生きているから、嘘も言わないから、内面を見て欲しい。
今までに出会った人にも、これから出会う人にもそう訴えたい。
ありのままの僕で嫌われるならそれでいい。

そんな感じ。

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