その他

2年前に書いた文章

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人との関わりを避けてしまうのには理由があるはず。

単に人が嫌いなだけなのか、なにか強いトラウマがあるのか。
相手が男性でも女性でも、同じように防御態勢になってしまう。
僕のパーソナルスペースに入ってこないで、僕の中をこれ以上汚さないで、と全力で守っているような感覚になる。

それなのに、一度心を許した人間には距離が近くなり過ぎる。
それは自覚していて気を付けてはいるものの、他人との距離を保ち続けるのは難しい。

大切な人達と撮ったプリクラを携帯のケースに詰めた。

今は疎遠になってしまっているけれど大切だったことには変わりない。

あの頃から僕を支え続けているのはこの4人だから、財布にひっそりと仕舞っておくのではなくて、透明な携帯ケースに詰めていつでも見れるようにした。

ふとした時に目に入って僕の気分を良くしてくれる。
もう少し頑張ろうと思わせてくれる。

この4人は僕にとっては唯一の存在で、中学時代には最高の青春を過ごさせてくれた。
高校時代はそれぞれ別の高校に進学したけれど、沢山の想い出と元気と力をくれた。

忘れたくない4人、大切な4人、忘れることのない4人、この4人を忘れるくらいならこの人生終わりにしても良いくらい大好きな人達。

彼女達はいま何処で何をしているのか分からないけれど、多分幸せに生きていると思う。
そうであって欲しい。

毎日ではなくてもいいから、本気で笑う日があって、泣く日も落ち込む日もあって、でも友達が慰めてくれて、誕生日も祝われて、仲良く楽しく笑う日が多くあればいい。
そうであって欲しい。

この4人には幸せでいて欲しい。
もし幸せと呼べなくても、自分の人生に満足していて欲しい。

僕は未だに金にもならない文章を書いている。

笑う日が珍しかった2021年は「誕生日おめでとう」という言葉を聞いていない。
その言葉に限れば家族の4人にすら言われていない。
ピザや寿司を買って祝ってはくれたが「おめでとう」とは言われていない。

それが悲しいとか辛いとかそういうことではないけれど、「ふとした時に僕という存在を肯定してくれる人が居ないのだ」と、少し下を向かされる。

肯定とか承認とかそういう事に対してはもう諦めているし、僕の人生において大切なものではないと思っているからなんてことはないはずなのだけれど、僕はまだまだ僕だけで生きていけないからそういうことを気にしてしまうのだろうね。

早く僕という人格と生き方を確立させたい。

自由に生きたいから、闘い続けなければならない。

2年前はまだそう思えていたけれど、最近はいろんなことを諦めている。
諦めることによって生き永らえるのならそれで良いんじゃないかと思う。
少なくとも、今は。
そ~んな感じ。

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