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「死後の確率」と「理解」の話

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さっきふと「どうして死んだあとに希望を抱くのだろうか?」と思った。
死んだあとに今よりもマシな人生を送れる確率なんて分からない。

世界にはいろいろな確率がある。

  • 天気予報が当たるのは87%
  • 女の子が産まれるのは51%
  • 黒ひげ危機一発が飛び出すのは7.7%
  • じゃんけんで10連勝するのは0.098%
  • おみくじで大凶を引くのは0.013%
  • 四葉のクローバーができるのは0.001%
  • 飛行機が墜落するのは0.0009%
  • 雷にうたれるのは0.00001%
  • 宝くじで1等が当たるのは0.000005%
  • 隕石が頭に直撃するのは0.000000001%

死んだあとに今よりもマシな人生を送れる確率は、分からないどころか存在すらしていない。
50%でも1%でも0.01%でもそれ以下でもない。
「   %」としか表せない。

でも死にたがる。
今よりもマシな世界を望んで自殺する。
正直に言ってしまえば「今この場所から逃げられるのなら何だって良い」だけで、死んだあとのことなんか何も考えていないのが大半だが。

数週間前の僕はかなり本気で自殺を考えていて、練炭を買ったり、本を売ったり服を捨てたりして部屋を整理して、法的に有効な遺書も何枚か書いていた。
僕は比較的前向きに自殺するつもりだった。
ハッピーエンドとしての自殺と言えば良いのだろうか。
「やっとここから出られる」「やっとこの世界を離れられる」「やっと次の世界に行ける」そう思っていた。
だから、「死んだ後の世界」に興味があった。
「死んだ後の"この世界"」はもちろん、「この世界"以外の世界"」も気になっている。
だから「今よりもマシな世界」に希望を抱いていた。

「死ぬなんて馬鹿馬鹿しい」という価値観を持っている人からすれば、存在すらしていない確率に希望を抱くなんてことしないだろう。
そんな確率よりも、生きて誰かが助けてくれるのを待っている方が遥かに高い確率になる。
そう思うと悲しくなるね。

「存在しない確率に希望を抱くほど、この人生が歪んでいて辛くて苦しくて嫌で逃げたい」と思うことをまったく理解できない人間が存在するのだ。
僕には身近にそういう人がいる。
何を以ってしても相手のことを理解できない人間が。
どれだけ本気で説明しても、どれだけ事実を並べても、「理解」の言葉に辿り着けない人がいる。
残念ながら、それは仕方のないことでもある。

人は知らないことを理解できない。
僕を理解できない人は、僕の居る環境とは違う環境で生きているだけ。
僕を理解できない人がいるとしたら、僕もその人を理解できないだろう。
ただそれだけのことなんだ。

砂漠に行ったことがない都会の人に「砂漠で水を手に入れるのがどれだけ大変か」を説明したって本当の意味では理解されない。
彼らは「蛇口を捻ったら飲める水が出る環境」に居るから、砂漠でオアシスを見つけることの大変さとその確率の低さを知らない。

「他人を理解する」のは根本的に無理な話なのだ。
でも「理解に近づく」ことはできる。
相手を尊重し、耳を傾け話を聴き、目を見て向き合い、手を取ってハグでもすれば、少しは理解に近づけるだろう。
そういう人が世の中に増えてくれると嬉しい。

僕は今まで、他人に興味が向かなかったから、そういうことはできなかった。
他人を知るための質問が出来ず、自分の話ばかりしてしまったりする。
他人に興味を持たなければならない。
心の矢印を外側に向けなければならない。
それは僕にとってとてもとても難しいことだけれど、これから少しずつできるように頑張っている。

そう思っているからか、最近は誰かと話したいと思うようになった。
LINEのグループに連絡してみたり、友達と会いたいと言ってみたりして、人との関わりを増やしてみようとしている。
だから、暇な人、連絡して。
ご飯でも行こう。
今はお寿司が食べたい。

最近はそんな感じ。

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