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僕は自分を証明しなければならない気がしている

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最近よく人が死ぬ。
そして僕も最近、死にかけた。

きみは自分の存在を肯定されたことはある?
「生きているだけでいいよ」と言われたり、「死なれると悲しい」と言われたり。
僕にはないけど。
逆に、きみは自分の存在を否定されたことはある?
僕はある。
「お前は居ない方がマシだ」「居るだけで邪魔になる」「お前に居て欲しいと思ったことがない」そのようなことを散々言われた。

「僕はなぜ生きているのだろう」「どうして僕はここに居るのだろう」と、いつも考える。
その答えはいつも分からない。

僕は自分を証明しなければならないと強く感じることがよくある。

何か僕に関して勘違いをされたとき、僕の言いたいことが伝えられなかったとき、否定されたとき、そういうときに僕は「自分を証明しなければならない」と強く思う。

僕がいつも昔のことに対して弁明したがっているのには、これが理由かもしれない。

これは僕の主観だから事実とは違うかもしれないけれど、僕の周りに居た大人たちは僕を信じることが少なかったように思う。
何を言っても受け入れられないというか、軽く見られるというか、「ちゃんと伝わった」と思うことが本当に少なかった。

一番多かったのは「痛み」に関してのこと。
膝が痛い、お腹が痛い、頭が痛い、胸が痛い。
そういうことを訴えても「ただの成長痛だ」「痛がりすぎなんだよそのくらい我慢しろ」「仮病はやめろ」と返される事が多く、まともに向き合ってもらえたことがない。

何ヶ月も「膝が痛い」「曲げられない」「体重をかけると痛む」と訴え続けてやっと検査に行ったら、骨にヒビが入っていた。

胸が痛いと訴え出してから5年後に病院で心臓の検査をすることになったことがある。
検査の結果は異常なしで、「神経系が敏感」ということだけ教えてもらった。
この胸の痛みはプレコーディアル・チャッチ症候群と呼ばれる危険性のない病気だということを、あとから知った。
治療が必要なく自然に治るらしくて安心している。

どうすれば自分を証明しなくても良いと思えるのかが気になっている。
最近「愛されたら自分の証明が必要なくなるのではないか」と思った。

きっかけはBillie Eilishの『6.18.18』の歌詞で、この曲はBillie Eilishの親友だったXXXTentacionが死んだあとに追悼として書かれた曲で、彼女がどれだけ彼を愛していたかが感じられるような歌詞になっている。
恋人の愛ではなく人間としての愛ね。

和訳がしっくりくる動画があったんだけれど、削除されたみたいでもう見れなくなってしまった。
このくらい愛されれば僕は自分を証明しなくても良いのではないか、ただ生きているだけでいいと思えるのではないかと。
現実では無理な話だが。

精神的なトラウマや問題は、恋人を作れば解決できると言われることもある。
愛されるのに一番かんたんな方法は恋人を作ることだと僕は思っている。
でも今の僕の状態では、他人に意識を向けられるほどの余裕がないから、相手を無下にしてしまう気がしてできないと思う。

難しいね。

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